高知県の中心高知市から車で東へ約40分の所に土佐市戸波(へわ)地区。
ここは、土佐湾から約5〜6キロ内陸へ入ったところです。
昭和18年(1943年)、宮ノ内地区の故宮地 文弥が高知市朝倉の県果樹試験場から土佐市宮ノ内地区へ土佐文旦を導入し、栽培を始めました。
その頃は、鹿児島県の法元(ほうが)さんところの文旦ということで「法元(ほうが、ほうげん)文旦」とよばれていました。
最初は全く売れなかったそうです。高知がダメなら東京へ出してみようと言うことで、東京・神田の市場へ出したのが今日の成功のきっかけになったようです。
その後、昭和34年「高岡郡園芸取引懇談会」で、東京青果の伊沢 誠が「法元文旦」改め、土佐市の文旦ということで「土佐文旦」と命名しました。
その後、地区をあげて土佐文旦の生産に励み、今では高知県一の土佐文旦の生産地となっています。
ずっしりと実が詰まった元気な黄色がまぶしい土佐文旦。
高知を代表するフルーツで、主に土佐市戸波(へわ)地区の文旦に限定。
日当たりの良い南東向きの斜面に栽培された極上品の中から、心をこめて大切に育てられた大玉の輝きをよりすぐりました。
生産地:土佐市 ※土佐市承諾済